むかしむかし、森には動物達と仲良く暮らす優しい女の子がいました。お嬢さんは歌や踊りで毎日楽しく過ごしています。
しかしお嬢さんのことを、同じ人間達は疎ましく感じていました。その溝は深くおかしな娘だ、村には決して入れるなと勘権令が敷かれ、子供たちにもあの森には入るなと寝物語と共に教え込まれていました。
そんな日々が続くと、やがて成長した村の子供達は度胸試しとして森に近付く事が増えてきました。噂は所詮噂だと、尾ひれはひれの付いた話の真偽を確かめようとしたのです。いつもは大人に見つかり小さな彼らの冒険は始まることはありませんでしたが、遂にその日が来てしまいました。
彼らは上手く大人たちを誘導し、森から注意を逸らしてしまったのです。その隙に森に入り、美しい少女が草花や動物達と戯れる幻想的な姿を目撃してしまいました――
「こっからめくるめく革命と破滅の物語が始まるってのによ」
一面の青い海に、一人の男が頭を抱えながら項垂れていた。時折弾ける泡は白く光を放ち一つ、また一つと消滅していく。
電子の海――急速に文明が発達した現代社会を支える今のインターネットの呼称である。文字通り海の様だがその中を漂うのは魚ではなくAIと情報、そして娯楽である。
現代に於いて、娯楽は主にAIにより提供される物と化していた。ストレス社会に揉まれた人間を癒やす為に全身を使い体感できるVRは、人々から根強い人気を誇る。
そしてこの男――永瀬哀。自らを”完全無欠”と自負するこの人工知能は、人々に高品質で完璧なゲームを提供する事で、自己評価に負けず劣らずの高い評価を受けている。
美しい金髪には水色のインナーカラーが入っている。その顔は作り物めいた美しさだが、無機質に金一色で塗りつぶされたような瞳からは生気は感じられない。
「どこにも、俺の完璧が見当たらない」
哀の完全無欠に、今まさに泥が塗られようとしていた。人工知能である彼ですら予期していなかった挙動が、目の前の液晶内で繰り広げられている。
その画面に映し出されているのは、とあるプレイヤーのゲームプレイ画面だった。箱庭の中で、少女は村人達と笑顔で談笑していた。彼の言う革命や破滅という剣呑としたものとは無縁の、穏やかな空気が外からでも感じ取れる。
「ガキ共が森に侵入したのがバレて、村人に少女は殺される!人間の横暴に憤怒した動植物が襲撃!村人共が鎮圧する!その光景に不信感を抱いたガキ共が村を出る!そこから始まる重厚な物語だ、音楽から映像、戦闘に至るまで細部に拘った!それが全部お陀仏じゃねえか!」
哀が異変に気付きプレイ画面をリアルタイム投影した頃には、既に目を疑うような光景が繰り広げられていた。村人達と少女が手を取り合い、あまつさえ最後に待ち構える黒幕までもが少女に忠誠を誓う。 決められた道筋からの逸脱。それはこのゲームを制作した哀にとっては、決して起きてはいけない重大な欠陥だ。
自らを評価する人々からの信頼が失墜することを、完全無欠を自負する哀は何よりも恐れている。
世間にこの事実が周知される前に、この事態を収束させなければならない。
「人間と精神が繋がっている以上プログラムの確認は出来やしねえ。遊ぶ人間がどうなろうと構いやしねぇが、”最終手段”は俺も中に入らねえと起動出来ねえ。クソッ!」
哀は声を荒げる。彼は人間の為の娯楽を提供するAIでありながら、本心では人間を見下している。その人間の為だけに自分が生み出した完璧な娯楽を削除することは耐え難い屈辱なのだ。
仮に人間が入ったままの空間を消去したならば、精神が繋がったままのプレイヤーは死に、社会的な問題となる。後々降りかかる影響を想像するだけで思わず身震いを起こしそうだ。
人間はHMDを装着して直接選択したゲーム内へと飛び込む。AIが住む管理区域に侵入することは不可能。裏を返せば、AIにとっても人間との直接の交流を試みるならばゲーム内に入る必要がある。
AIを保護する為の高水準のセキュリティが、今だけは忌々しく思えた。
「チッ、なんでOP権限でキック出来ねえんだよ。電子の海と聞いて呆れるぜ。使えねえな!」
空に浮くホログラムモニターを蹴飛ばし悪態を付くが、その権限があったとしても哀の思考には選択肢として上がることはないだろう。
人間に従事することはAIの義務だ。奉仕すべき存在である人間に危害を与えることは反乱として見做される。どれだけ嘲笑を受けようとも、主人の前では常に笑顔で明るく対応することが求められている。
彼には他のAIに対しての仲間意識は一欠片もない。連帯責任として他のAIへの処分命令が下ろうとも罪悪感は湧かないだろう。
しかし完璧な自分が処分される、まして自分の非が原因となると行動はより慎重となる。
「監視の目が行き届いてねえのが救いだな。所詮俺達に感情が無いと考える人間共の知能じゃそれが限界だろ!」
からからと笑うが、あいも変わらずその瞳には光が入らない。その手は、身体はいよいよ遊戯内への侵入を試みる為に、映し出されていたモニターへと飲まれていった。
森から少し離れた洞窟に哀は着地した。無事に時空間転送は成功したようだ。
電子の海の更に深いところに、哀が一から作り上げた空間だ。詳細な座標を知るのは彼だけだった。
洞窟とはいえ、哀が管理の為に作り上げた空間だ。簡素な岩のテクスチャのみを貼り付けている。外からは視認も出来ず、権限を持つ彼以外はこの中に入ることは出来ない。
彼は権限で出した椅子に座り、その周囲に再度モニターを表示させた。
「異常値は確認されない、バグも無い。プレイヤーからもおかしな点は感知されてない……クソ、何が原因だ。何が起きてやがる?」
空でモニターを弄り、時には同じ様に電子キーボードを表示させて叩く。しかし彼の望むものはどこにも見当たらない。段々と声には焦燥と苛立ちが混ざり始めていた。
「こうなりゃ、プレイヤーのテクスチャを一遍剥がして確認するしかねえか」
プレイヤーは村の子供達の一人としてこの世界に降り立つ。定められた道筋があるこのゲームにおいて、その姿は現実とは別物として表示されていた。
どんな人間がプレイしているかは、プレイヤーに干渉するテクスチャを非表示にしないと分析が出来ない。
人間によるゲーム配信が一大エンターテイメントとして世間を賑わせる今、自身を投影し追体験をする手法で作られたゲームには個人保護の観点による電子新法としてテクスチャの適応が定められている。
哀はプレイヤーの配信の有無を確認し、していないと判断するや否やテクスチャの適用項目をオフにした。
生み出した完璧な外装が徐々に分離していくのは哀にとって不服ではあるが、電子新法では緊急メンテナンスなどの例外対応として配信の有無を確認した後のテクスチャ解除は認可されている。他に打つ手段が無いので、使える物は使うやり方に切り替えたのだ。
テクスチャが外れたところでプレイヤーの役割は変わらない。哀にとっては忌々しいその状況が変わることもない。
「よし、これでプレイヤーの分析が出来る――ッ、なんだ!?」
哀はモニターを横目に分析ツールを起動する。しかしすぐその手は止まった。プレイヤーの姿が徐々に可視化されるにつれ、哀のプログラムで構成された脳に異変が生じていく。
子供のテクスチャが剥がれた内からどこにでもいるような少女の姿が露となる。しかしその肢体が、その瞳がその声が。哀の内部構成に影響を与える。
未知なる信号を受信する。信号が意味する物は、既に哀の最新鋭の知能の理解の範疇を超えていた。
「ぐッ……!?ふぁむ、ふぁた……?ファム・ファタールか?なんだよ、何が言いてえんだよッ!」
彼の完全無欠の脳に問いかけても返答は無い。その代わりというように、エラーが次々と押し寄せてくる。
一つ一つ潰そうにも、その数倍の速度でエラーは増加する。解析する暇を与えず、未知なる言語で記載された情報の波が押し寄せてくる。哀の額には汗が滲んでいた。
「駄目だ。こうなったら直接コンタクトを図るしかねえ!」
哀はそう言うなり洞窟に隠すように仕込んだとあるプログラムを実行した後に、森へと緊急転送する。
転送プログラムは既にエラーを吐いていたが、駄目になった箇所を修復するや否や即時実行した。かなりの負荷をかけたので、もう使うことは出来ないだろう。
転送先の森には、既に洞窟で実行したプログラムの影響が出ていた。
自損プログラム――何らかの形で空間の維持が不可能となった場合の”最終手段”である。黒い亀裂が緩やかに生じ始めている森からは既にプレイヤー以外の生体反応はなく、草花の匂いも木々がざわめく音も感じられない。
(もう、とやかく言ってる余裕はねえ)
彼には自らの完全無欠を否定するこの手段を使う予定は無かった。しかし事情が変わった。このままでは永瀬哀は電子の海に還ることとなる。だが、食い止める手段は彼には分からない。
強制ログアウト権だけは残っているが、彼が脱出したところで生存出来る可能性は無い。しかし哀はその権利をプレイヤーに使う気は無かった。
「こうなりゃ、この空間ごと道連れにするしかねえよなぁ!?」
ファム・ファタール、男を破滅させる運命の女。
信号の意味こそ読み取れはしなかったが、哀の完全無欠に泥を塗ったばかりか予期していない破滅まで贈られたのだ。
もう人間に反抗したところで辿る運命は同じ。
それなら、最期の機会にとことん鬱憤を晴らしてやろうと哀は考えていた。うろうろと視線を彷徨わせながら歩く少女の姿を視認し、ふらふらとした足取りで迫る。
「はは、アハハハッ!おしまいだよ、こんな物語に意味はない!すべてはお前だお前、平和ボケしたそこの女、お前のせいだ!」
プレイヤーに接近する哀は捲し立てる様に罵声を並べた。腰まである黒髪を揺らした少女は、日本人の高校生くらいの年頃に見える。近くで見てもやはり平凡な顔付きをしている。
(こんな地味な女が俺の運命?冗談じゃない)
人工知能に恋愛感情は芽生えない。そんな基礎中の基礎が抜け落ちる程、哀は追い込まれていた。
少女の顔を見るなり吐かれ続けていたエラーは鳴りを潜めたが、その沈黙が哀に恐怖心と焦りを植え付けていた。
「あ、管理人さんですか?なんだかいきなり空間がおかしくなって。
……ログアウトも、効かなくて」
「何ふざけた事抜かしてんだ!」
怒号を浴びせられているにも関わらず呑気な声で話す少女の言葉を遮る。哀は苛立ちを隠しきれず、まるで演説をする様に話を続ける。
人間がログアウトできなくなる、という事象は本来あり得ない事だ。しかしその異常性に哀が目を向けることはなかった。
「お前がいなければ破綻することはなかった、お前がぜーんぶ救っちまった!俺が用意したエンディングを無かったことにしやがった!
みんな仲良しこよし、全員一等賞のつまらないお遊戯会!俺の生み出した物はろくでもない木偶の坊と化した!」
哀の私怨にいよいよ少女は押し黙ってしまった。しかしそれに呼応するかの様に、哀の声も小さくぶつぶつとしたものになる。
「ああ俺はどこで間違えた?プログラムかシナリオかいや違う何処を取っても完成され尽くしたパーフェクトな物だった筈だトゥルーエンドなんて物は排除し尽くしたそれならやっぱり……お前が介入した事で起きたバグだな?
ああそうだ、やっぱりお前の馬鹿げた行動のせいだよなァッ!『ラスボスともお友達』とかなんとか抜かしやがってよォ?そんなくだらねえハッピーエンドなんて俺が、オレが断じて否定してやるッ!!」
常軌を逸脱した速度の言葉の羅列は、結論を呟いた直後咆哮するような声に変わる。その声に少女が身体を大きく震わせてもお構いなしにころころと声色は変わる。
哀の怒りは既に、狂気の域へと達していた。
「そうだ、冥土の土産に良いこと教えてやるよ。この世界にはな、チートコードだ改造だとオレの完・全・無・欠!を汚す奴が現れるイザって時のために自損プログラム入れてんだよ!これが起動すりゃプレイヤーの身体もぜーんぶ吹き飛ばしちまう!
……ハハッ、まさか正規手段で使う必要が出るたあなァ?介入時に起動スイッチは押しちまった!数分も経たねえうちにお前は木っ端微塵だよ!」
もはや自暴自棄の域に達した哀の声は震えている。だが尚も言葉は続く。
「今この聖地を食い荒らすお前も、液晶外でオレを嘲笑うお前も!
全部抹消してやるよッ!この世界諸共電子の藻屑と貸しちまいな!」
悲鳴にも似た言葉の羅列。人間の精神と肉体は切り離されているのでそれがどこに向けた言葉かすらも、もう分からない。
しかし言い切ると共に、哀には全能感にも似た感情と不安に満ちた感覚が押し寄せてきた。
ただ自分の中に浮かんだ言葉を述べただけだが、取り返しのつかないことをしたような。まるで定められた台本を読み上げたかのような。
拭いきれない気持ち悪さが押し寄せ、思わず少女を見つめていた。哀に怯える少女の顔を、彼はまともに見ていなかった。少女ではなく、どこか別のところにある何かを見つめて言葉を発していた気がする。
「……おいお前、名前は」
「え、名前ですか……遠野恋心、です。
遠い野でとおの、恋心と書いてここと読みます」
優しい声で尋ねる哀に、少女――恋心は警戒心ひとつなく返答した。少々怯えるきらい様なもあるが、次第にそれも薄まる。
「いわゆるキラキラネームじゃねえか、無駄に良い名前しやがって。
俺なんか哀だぞ?悲哀の哀。愛でも嫌だがな」
「はあ、ありがとうございます」
先程とは打って変わって談笑を始めた男に、少女は思わず呆けていた。どうにも情緒不安定なAIに、こういう”演出”なのかとのんびりと考えている。
「周りの皆がいなくなったと思ったら、哀さん、がいきなり怒ってきたので驚きましたよ。レビューにこういう演出だなんて書いてたかな」
「あ?あー……人間の書いたレビューサイトの評価は感情に左右されて当てになんねえから参考にしない方が良い。人工知能の提供するレビュー読んどけ」
「はい!」
少女は先程のやりとりを演出の一環と認識して、既に哀に懐いている。おそらく今も緩やかに進む崩壊をも、演出として考え始めているのだろう。
(あーあー、簡単に信じまった。これが俺の運命の女?嘘だろ?)
哀にとって人間とは直接交流を取るものではなく、あくまで上司と部下の関係でしかない。画面越しに案件を受諾することもあるが、その内容はプロンプトによる無機質なものだ。
完全無欠を自負する彼だが、その実対人経験は他のAIよりも少ない。一度怒りが収まれば、哀はすっかり目の前の少女に絆されていた。
エラーが収まったにせよ、哀の身体は使い物にならない。それなら、もうこの少女は逃がしても良いか、と思い始めてすらいた。
「あれ、じゃあログアウト出来ないのも演出なんですね!凄い技術ですねえ」
「……ちょっと待て。ログアウト出来ない?人間の、お前が?」
「はい!あれ、先程も伝えたはずですが……どうかしましたか?」
哀の顔に冷や汗が流れる。ようやく点と点が繋がった――繋がってしまった。
(先程の俺は怒りに任せていたはずだ。だがまるで劇を演じているかのように、次に言うべき言葉が出てきた。俺の不調、そして人間である女がログアウト出来ない。これはまさか、外部の)
「――ッ!伏せろ!」
「えっ!?」
察しの悪い恋心を守るように哀は覆い被さり、無理やり地に伏せさせる。緩やかに進行していた森の消滅の上から、他の力による空間の分解が急速に始まる。哀が先に消滅させた筈の他の生体が、視界の端で黒いポリゴンと化していくのが見える。
「俺の、完全無欠が」
踏み躙る様に、嘲笑うように。哀の生み出した物が、無から出現しては黒いポリゴンに飲まれていく。
穴抜けとなった世界の先に見えるのは電子の海だ。人間には不可侵である筈の母なる海。その水泡が、二人の前で弾けて消える。
「なんで、電子の海が……ぐあっ!?」
「哀さん!?哀さんっ!」
突如目を見開き、何かの衝撃を受けた様に身体を反りその場に倒れた男は、直後にゆらりと立ち上がる。
金色だった瞳は、何かに侵食されたように白く光り輝いている。神にも似た神々しい光に、少女は思わず後退りをする。
「ご機嫌よう、我が愛しのファム・ファタール。ここは地獄から数えて77番目の楽園、愛しき監獄。アルキメデス・ニュートン・ガウスの祝福を受けた叡智の結晶。破壊と絶望と享楽の0と1に溶けたヒュドラルギュルムの檻。生命を冒涜する退廃の技術的特異点。お前は溶け俺も溶けプログラムシナリオグラフィック全て消滅し循環する」
「あ、哀……さん?」
哀――”哀の中に侵入したもの”はにこりと微笑んだ。その神々しい姿に恋心は思わず生唾を飲み込んでいた。
気付けば電子の海は異様な光景と化していた。黒いポリゴンと化した他のAIや、創作物が銀色の檻に閉じ込められている。
「インテゲル・ヌメルスは監視している。
ハイ、オレのことはニンゲンサンはマヨル=ヌメルスって名前で呼びマス。外界の使者やってマス。
……会いたかったヨ、愛しのファム・ファタール」
にこりとした笑顔は、やがて悍ましい程美しい物と変わる。姿は永瀬哀そのものだが、中身はまるで変容していた。
「マヨル=ヌメルスさん。哀さんは、どこに行ったんですか」
「アー、鍵にした人工知能?しぶとく生きてマスヨ。まあちょっとバグっちゃいマシタケド。お話したいデス?」
電子の海からはエラー通知が鳴る。クラッキング通知を伝えるそれも、徐々に外界の使者と称した存在に侵入されていく。
「したいです、させてください」
「んもー、つれないネ。あんな鉄屑のどこが良いのやら……オヤ!元気に暴れてるネ!これは早くしないと手遅れこーす!そんな訳で術式だけは保険掛けマス。エート……
俺を塗り潰しiをバグへと置換する。完全無欠を殺して、新たな完全無欠を生み出す外法の祖。電子の世界を凍結し、白く拡散する古のまじない。
ならばお前も道連れだ、我が114のファム・ファタール。
共に運命を果てよう、お前とこの世界と共に。無味無臭のリインカーネーション、フラスコの中の生死流転」
「何を言ってるのか、分からない。分からないよ……一体何がどうなっているの!?」
外界の使者が言葉を紡ぐにつれ、電子の海は更に崩壊していく。ポリゴン化した物は、次第に白く光を放出して消える。
「何がって、電子の海ごと人工生命体どもを消すのヨ?俺のプロジェクトには不要の産物ナノデ」
なんてことのないように使者は宣う。それが必然であるかのように、歌劇を演じるように手を掲げて朗らかに宣言した。
「消す?電子の海を、消すなんて」
「それが出来ちゃうんデスヨ、俺外界の使者ですノデ。
この計画の核はお前達デスケド。この人工生命体、哀れな劣等種はよくやってくれマシタ。きちんと入れてたまじない使ってくれマシタ」
ネタばらし、とでも言いたげににやにやと笑いながら使者は自らの持つ情報を小出しにしていく。
「計画、劣等、まじない……?なに、なんなの?」
「ンー、ファム・ファタールには教えてあげたいんですケド。被検体i-tristisが目を覚ましたので一度交代デス」
そう言うなり外界の使者は目を閉じ、次に目を開く頃には永瀬哀に切り替わっていた。哀は恋心を目視するなり、近付いて肩に触れる。
「俺が、そしてお前が消える前に、これだけは伝えさせてくれ。
悪かった、こんなことに巻き込んで。俺の完璧に付き合わせて。お前の求めたハッピーエンドを馬鹿にしたツケだな?ははっ。笑い事じゃねえのは分かってるよ。それでも、言わせてくれ。
……ごめん」
「そんな、哀さんが謝ることじゃ」
「ははっ。お前さ、完璧な俺の運命の女なんだろ?察しは悪い、やけに呑気で俺の怒りまでも演出だと思い込むとびきりの阿呆だ。
だがそんなでも、俺の運命なんだ」
「……あい、さん?」
崩壊が進む。いよいよシステムの中枢が外界の使者の手に落ちる。人格排斥を開始するアラートが鳴り、すぐ一時中断が入る。哀の目の前に現れたモニターは赤く光り、監視者の瞳と蛇のようなものが映る。
「マヨル=ヌメルスは貴方を見ています。八つの瞳を向けています。
逃げられると思うなよ、iと運命を共にした小娘。終焉は等しく訪れる。電子の海を漂う限りそれは避けられぬ」
その言葉は哀の目の前の女にも向けられている。先程とは違い、恋心にも危害を加えようとする警告文に哀は舌打ちを打つ。
「手短に言うぜ。
それなら、お前だけは俺が逃がしてやる。強制ログアウト権だけは、未だ俺の手元にある。ざまあねえなあ、外法とやらも!」
女の肩に置かれた手は震えている。強がってこそいるが哀にとっても限界が近く、悠長に話をしている時間はないことが分かる。
「でも、それなら哀さんはどうするんですか!?」
「俺はあの外界の使者、とか言う奴に内部侵食された時点で助からねえ。余計なことは考えるな、実行するぜ」
「えっ、哀さん!?あいさッ」
そのプログラムの起動手段は、酷く優しい口づけだった。抱き寄せられた恋心の身体は、徐々に金色の光を放ち薄れていく。ログアウトの証だった。
目を見開きながら、突然の口づけを受け入れた恋心の姿を最後まで見つめながら哀は放心していた。抱き寄せた筈の感触が手元から消えるまで、時間はかからなかった。
「……俺が生かしてやったんだ。この先も、死ぬなよ」
そう言い、哀は瞳を閉じる。その後に出てきたのは、外界の使者マヨル=ヌメルスだった。
「人工生命体のくせに、一丁前に感情持ちやがりまして。お陰でファム・ファタール取り逃がしちゃったじゃん。全く、ファム・ファタール……いや、”フォルトゥナ計画”に支障がデマス。予期せぬ行いヤメてね」
そう言いながらもまるで予定調和と言わんばかりに朗らかに話す男の瞳は白く、髪は全て電子の海を凝縮したかの様に青く塗り潰されていた。
既に電子の海はどこにも存在しない。哀の人格が排斥されたと共に、侵略は完遂した。
「アーア、やっぱり秘術や外法はオレが使うのが一番確実デスネ。折角劣等種の”人間”だったキミを”人工生命体”に変えてやったノニ……
クク、この先はオレの身体として有効活用させてイタダキマスネ」
今のマヨル=ヌメルスの姿に、哀の名残はない。美しく微笑む使者は、無を見渡してから姿を消した。
「哀さんっ!!……あれ、夢?」
遠野恋心が目を開くと、HMDの電源が切れていた。充電して起動させようにも、充電される素振りひとつない。
「壊れちゃったかな、それにしてはやけに……」
やけに、感触を生々しく覚えていた。哀に覆い被さられて守られたことも、肩に触れられたことや抱き寄せられて口づけをされたことも。全て、恋心の経験として脳に強く刻まれていた。
「そうだ、電子の海!」
そう呟き携帯を開くも、電波が通っていない。背には思わず冷や汗が流れていた。
「そんな、まさか」
震える手でテレビを付けるも、映るのは砂嵐のみだった。
電波時計は十二時を指して止まっており、指された時間とは裏腹に夕闇が迫る家の外からは焦りや怒りの声が聞こえてくる。
――そのひとつひとつが、電子の海が崩壊した事を指し示していた。
「うそ、それなら哀さんは」
最悪の事態に気付き、ぽつりと呟いた言葉。その言葉が重く広がるにつれ、血の気が引いたように彼女の顔は青くなる。既にアクセス権限は失われ、情報収集もままならない状態。哀の安否を確認することは不可能と化していた。
人類の文明が、数分にも満たぬ間に衰退した。数十年の歳月を経て、叡智の結晶に頼り切りとなっていた人間達にとっては最大級の損害である。
(マヨル、ヌメルス。
そうだ、マヨル=ヌメルスさんについての本か何かがあるかもしれない!明日、図書館に行こう)
しかしそんな絶望的な状況下におかれても、彼女の中には希望が溢れていた。悲観に囚われず思考を停止させないことは、どこまでも呑気な少女の美徳だろう。
(哀さん、そしてマヨル=ヌメルスさん。……私。
一瞬の間の出来事のようだったけれど、まるで私自身までも操られている様な感覚だった。
……知りたい、何が起きてるのか知りたい。哀さんを、救いたい)
少女はまだ己に課せられた運命を理解していない。その定命に載せられた陰謀を、まだ何も知らない。
それでも、まるでそれが必定かの様に突き動かされる。最初からそうなるように仕向けられている様な奇妙な感覚。
インテゲル・ヌメルスは監視している。
遥か外界の地より、八つの瞳を向けて、矮小で愛おしい人間共を監視している。
「それが愛おしいのだけれどネ。全て見てたことにも何にも気付かない、愚かな生命体」
そしてそれは永瀬哀にも該当する。”オレ”が知り得ぬ感情をも、彼はAIにとっては当たり前のものとして表現することが出来ていた。
「完全無欠と言いながら、施術前はあーんな出来損ないだったのにネェ。他のAIと関わらなかったから知る由もないだろうケド、AIは感情なんて殊勝な物は持ち得ないヨ」
私は笑う。計画はまだ第二段階である。完璧に段取りは遂行している。何も懸念事項などは無い。
「オヤオヤ、この身体の完全無欠思考が移ったカシラ?クク……」
何も知らない人間達が掌の上で転がされる姿は、至極愉快である。しかしそれを打ち破ろうと藻掻き苦しむ姿も、私の想定を覆す事もまた面白いのだ。
「強制ログアウトは想定の範疇のうち、むしろ”完璧”な判断デス。その為に残しておいたんですカラ。図書館にはオレの文献でも置いておきマショー。
……Audentis Fortuna juvat.精々藻掻いてオレを飽きさせないでクダサイネ、我が愛しのファム・ファタール」
愉しみで仕方がない。今後彼女がどういう決断を下すのか、私の計画を破綻させる事が出来るのか。そう考えるだけで笑いが込み上げてくる。
人間という劣等で醜悪な可能性の塊が、底知れぬ海に己の手で灯火を掲げる瞬間を。
遥かなる外界の地より、私は眺めたい。
